あれ、そういえば音楽の値段って、なんでみんなだいたい同じなんだろう?

前回は「印税」「権利」とかそんな話でしたが、今回は「今のCDの売り方ってそもそもどうなんだ?」というお話です。

1.音楽の「値段のつけかた」

「お金」と「音楽」について考えてみたとき、よーく考えてみると意外と不思議なことなのに、わりと誰も気にしてないような気がする事の一つに、「大好きで何百回も聴いたCDと、1度聴いて飽きたCDが、なぜ同じ値段なんだろう?」ということがあります。自分にとっては全然価値の違う2枚のCDを、なぜか同じ3000円とかで入手している。なんとなーく不思議です。

多少の差異はあるものの、今メジャー流通している音楽CD、DL配信曲は、どれもわりと同じような値段で売られています。え? まあ別に普通じゃん? と思われるかもしれませんが、それって本当に普通でしょうか?

たとえば服だったら、使っている生地の質や縫製、デザイン、ブランド、色んな要素で、全く同じ機能の服であっても、値段がかなり上下に動きます。スーパーで売っているお肉だって、産地や部位によって、同じ「お肉」でも値段は千差万別です。

音楽だって「製造原価」や「ブランド」があるわけですから、それに合わせて価格がもっと大きく違っていてもおかしくはない。一人で宅録で作ってるから安い、とか、400人のオケ使って作ったから高い、とか、世紀のカリスマが作る音楽だから高い、とか。そういうことだってもっともっとあっていいはずだと思うのですが。あまりそういう話はきいたことがない。さらに、iTunes Storeなんかはなぜか小売店的な立場のくせに卸値を小売店側が指定するというような、真っ当な商売感覚からしたら全く意味のわからないことをしていたりもする。

ここが、まず、ちょっと不思議です。

 

実はこういう「価格がおおよそ一定」という売り方が、もしかしたら音楽をちょっとつまらなくしているかもしれないと、個人的には思っていたりします。

たとえば、全部の音楽が、全く同じ価格で売られるとする。そうすると、どうなるか。多分、「需要と供給」の話をするまでもなく、素直に考えて「たくさん売れるもの=価値が高い」という発想になりそうです。みんな同じ値段なのですから、たくさんの人に買われるものこそ価値の高いものだし売れるヤツが偉い。ミリオンセラーこそ正義。なるほど。わかりやすい。

じゃあ売り上げの数を競いましょう、という話になったとした場合、たくさん売れる物が正しいとすれば、つまりできるだけ多くの人が買ってくれる曲、ミもフタもない言い方をすれば、「大衆ウケ」するものこそが価値の高いもの、ということになります。じゃあ、どうしましょう。テーマは誰にでも届きそうなせつない恋愛モノ、メロディはキャッチーに。じゃあアレだ、可愛い女の子に歌わせたほうが売れるよね。握手券でもつけようか。……まあ、どこかで聞いたような話ですね。

そして、こんな風に発想を広げていくと、最終的に、別にそこに「優れた音楽」は特に必要なくなってきたりもする。CDというのは音楽を載せるコンテナだと思っていたはずなんですが、そこに段々「いい音楽」が必要なくなっていく。なんでしょうね、それ。
※「CD」と「音楽の質」のもう少しつっこんだ話は、次のエントリで書きます。

 

本当のところは、音楽の”制作コスト”はそれぞれおそらく全然違っているし、同時にそれを買う側が感じる「価値」というのも、相当な振れ幅で人それぞれ違うはずです。としたら、それにつけられる値段は、もしかしたらもっともっとバラバラでいいのかもしれない。その値段を納得させるだけのものがあって、その値段でお金を払う人さえいれば。

ルイヴィトンのような、やたら高価で一部の人だけが愛好する音楽も、ユニクロのような、安くてたくさんの人に受け入れられる音楽もあっていいはずですし。100万人が100円で買う音楽も、1万人が1万円で買う音楽もあっていいはずだし。

そういうことが当たり前になれば、音楽家が必要以上に「数」や「大衆受け」を意識する必要もなくなるかもしれない。一部のマニアに偏愛される妙なミュージシャンが生き残る道もできてくるかもしれない。もっとニッチな層を狙った曲や、一部の人にしか理解不能な楽曲、人生の特定のステージや職業でしかぐっとこない曲とか、もっと幅広い、豊かな音楽の世界ができるかもしれない。ルイヴィトンが売ったカバンの数と、ユニクロが売った服の数を比べても意味がないように、CDの売り上げ枚数でランキングを作ることなんて、全く意味がないことになるかもしれない。
…まあ、そんなにうまくはいかないでしょうが、でも、文化的にはそっちのほうが豊かで面白そうな気がします。

でも今は、ターゲットとする層も、リスナーのパイも全く違う音楽が、どこを見てもだいたい同じような値段で売られたりしている。別にそれはそれでいいかもしれない。でもなんだかちょっと不思議だし、それは本当にみんなにとって嬉しいことなのか、そこがちょっとだけ、疑問です。

2.音楽の「売り方」

同じように疑問に思う事がもう一つ。「フル試聴がちゃんとできないCDって、どうなの?」ということを思う事もありました。今でこそ、インターネットのおかげで、少なくとも45秒くらいは聴けたり、主要な曲はYouTubeなどでじっくり聴けたりするものも増えて、だいぶいい環境になってきました。でも、やっぱりフルで聴きこんでから買える音源って、結構少ない。特に国内はそう。

よくよく考えてみると、それって実は「サンマの頭だけ見せるから、このサンマ、200円で買うかい?」っていう売り方なんじゃ?と思えます。それ、買いますか? もしかしたら頭以外、腐ってるかもしれませんが。。。

でもまあ別に、この状況でも買ってくれる人がいるのは変な話ではない、とは思っているのですね。なぜかというと、CDというのは、別に「音楽」の価値だけで売っているものではないし、聴けない部分に対する「期待」というのも価値といえば価値ですから。
※このあたりも、次回補います

ただ、その売り方をする以上、やはり買う側としては不安です。だって、頭以外が腐ってるかもしれないサンマにお金を払うのはギャンブル以外の何者でもないですし。タイアップものが売れやすいのは、その不安が取り除かれているから、という部分も少なからずある気がしますし。

というか、一度聴いてもう聴かなくなるCDを、試聴させずに売りつけて、実際一度だけ聴いて飽きて聴かなくなったとしたら……それってなんかちょっと詐欺っぽいですし。頑張って稼いで得たお金をつぎ込んで買った物に「あたり」「はずれ」があるなんて、それってどんな買い物だと思いますし。まあ、それが楽しさの一つだ、というのも一つの考え方ではありますが。

音楽というのは商品の性格上、一度聴く前と聴いた後では、商品価値が大きく変わったりしてしまうものですから、全部聴けない状態で売るというのも別におかしくはないのかもしれません。他にも演劇とか映画とか、いくらだって「お金を払ってから価値を得る」商品・コンテンツはあります。
外でご飯を食べるときだって、「まだ味わってないのに金額が決まっている」ものにお金を払っているわけですし、そこまで「変だ」と言う必要はないとも思うのですが。

でも、穿った見方をすれば、中古市場が栄えるのも、ある意味では「自分の払ったお金と中身に納得していない」人が多い事の裏返し、という考え方もできなくはないですし、世にレビューサイトが栄えるのも、「本当に自分がこの金額を払う価値があるものなのか?」という不安の裏返しなわけですし。
そんな不安を与えるような売り方をしている、ということを、売り手側も、もう少し考えてみてもいいのかもしれない。

もしかしたらテレビで放映してから売る、っていうアニメのほうがだいぶ「まとも」なのかもと思いますし。
「お代は食べてから決めてください」というレストランがまれにあるように、そういう売り方をする音楽だってたまにはあっていいでしょうし。
全部ちゃんと聴いていただいてから、そもそもお金を支払うかどうかというところから、決めてもらうという売り方も、案外悪くないんじゃないかな。そう思います。

 
…というように、本当にものすごく根本的なところから、「音楽を売る」という事については、「よくわからないけどとりあえずそういうことになっている」事が多い気のしないでもありません。いや、もしかしたら、こんなこともうとっくの昔に試行錯誤されていて、その結果が今の売り方なのかもしれないのですが。

でも、少なくとも、今のこの音楽の売り方は、自分の個人的な印象だけで言う事を許していただけるならば、「音楽を面白くしていく」という意味では、あまり面白い結果を生んでいるとは思えない。

それで、いいのかな?

せっかくインターネットという面白い道具があって、いろいろと変化が起こっていきそうなこの時代です。「どんな売り方が音楽にとって本当に理想的なのか。どんなやりかたが、今だけでなくこの先の未来の事も含めて、音楽を作る人も聴く人も嬉しくなれるやりかたなのか」。全てをいったん白紙にもどして、まずはそこから考えてみるというのも、次の時代を作っていく上で、とても大事な事なんじゃないかな。そんなことを思っています。

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